- 不登校はなんとかしないといけない!
- サポートして登校できるようにしなきゃ!
- 行けない原因を突き止めて解決しないと子どもがかわいそう!
子どもが『学校へ行けなくなった』となると、焦ってしまって、親として子供を助けなきゃ!って思いますよね?
わかります。子どもを救いたい!それこそが親心です。
…でも、ちょっと待ってください。
- 『不登校』
- 「学校に行けない」
このワードは一見するとネガティブな印象を持ち、ついつい悪いことのように感じてしまいます。
しかし、不登校は本当に治すべき悪なのでしょうか?
不登校の子どもは
- 〖学校に行けない〗のか?
- 〖学校に行かない〗のか?
私が考える結論をお伝えします。
結論
子どもが『学校に行かない』ことを選択をしたのならば、親としてその決断を尊重したい。
そこで親が無理に学校に行かせるよう働きかけは必要ない。
その行為は、子どもの選択を認めていないことの表れである。
つまり、
子どもが今の状況の中で、一生懸命に悩んで出した答えを認めてあげようよ!
ということです。
子どもの『今』がどんな状況であれ、無条件に認めてあげられるのが【親】だと思っています。
その『認められている』という安心感こそが、子どもが自分自身で一歩前に進むために必要なことだからです。
本記事ではそんな私の考えを詳しくお伝えします。
《記事を書いている私の紹介》
- 3児の父です
- 専業主夫
- 元看護師
- 共働きでしたが、子どもたちのために仕事を辞めました
私の小学3年生の息子は不登校です。
学校に行こうと考えるだけで涙が止まりません。
そんな私が、体験から得た学びや考え方をお伝えしたいと思います。
子どもや親の形は千差万別。
どのケースにも当てはまる『答え』なんて子育てにはないと思っています。
それでも、この記事が不登校で悩む親御さんの助けに少しでもなれたなら幸いです。
目次
子どもには窮屈な学校なのかも
不登校という状態は、子どもが学校に”行けない”のではなく、意思を持って”行かない”のです。
いち親としては、【学校に行くのが当たり前】という世の中の常識にそぐわない子がいてもいいのかなと考えます。
不登校が増え、認知されてきたとはいえ、まだまだ〖学校に行く〗のが世間一般的なのは承知しています。
しかし学校という場に合わない子もいます。
自由度が低く規律を重んじる教育現場は、好奇心や発想力豊かな子どもたちには窮屈な部分も多いでしょう。
また、繊細な気質を持ち、集団の中での生活が馴染めず、苦痛を感じている子もいるでしょう。
ここで耐えられなくてどうするの?
他にどこで学ぶの!?
というご意見もあるかもしれませんが、
子どもたちにとって小学校は、それまで育ってきた環境とのギャップが大きいのです。
果たして不登校を選んだ子たちに強引に道を示すことが正しいことなのでしょうか?
【わが家の実例】不登校?学校に行きたくないならそれで良き
ここでわが家の状況をお伝えしたいと思います。
今年小学校に上がった次男6歳は
「学校行きたくない。保育園に戻りたい」と言いながら学校に通っています。
小3の8歳長男は小2から不登校です。
10日に1日、もしくは10日に半日学校に行くようなペースです。
親としては悩み、夫婦で話し合いました。このままでいいのか。。。このままずっと行かないのか。
でも考えた結果、《このままでいいんだ》という結論に至りました。
そう考えた理由をまとめます。
不登校は「登校しない」という子どものメッセージだから
親の価値観で考えると、子どもは行けないんだ、と捉えます。
しかし、子ども自身が『行かない』ことを選んでいるとしたら?
子どもの意思を尊重するのであれば「登校しない」という選択肢も尊重すべきなのではないでしょうか。
子どもは自分を認められると安心します。『自分はこれでいいんだ』と。
その自信、自己肯定感が、次のステップへのバネになるのです。
ただし、本人が「登校したいけどできない」のかどうかはよく観察すべきとは思います。
もしも登校したいけどできないのなら、それは本人にとって苦痛だからです。
そんなときは本人の望む結果を得られるように、相談しながら大人がサポートすることが重要かと考えます。
小学校のメリット・デメリットを考えてみた
(私の子どもたちが小学生なので小学校の、としました)
学校で教わることは、
- 「平等」
- 「周りと同調」
- 「迷惑をかけない」
- 「先生の言うことを聞く」
- 「友達のことを大切にする」
個性よりも集団を学ぶ場であるように思います。
小学校のメリット
- 集団の中で自分を知る
- 多くの友人とともに達成感や挑戦を通して成長できる
- 家ではできない体験を通して学びが多い
- 人間関係を学べる
- 基礎学力の習得
自分以外との関係性構築といった点で、多くの学びが得られる場所だと思います。
あとは義務教育と言われるゆえんである学業といったところでしょう。
小学校のデメリット
- 保育園とのギャップによる子どものモチベーション低下
- 個別性が尊重されない教育方針
- 時間的拘束
- 詰め込み学習
- 好奇心よりも「やらされ感」
一言でいうと、個が活きない。
集団の中で養っていくものが多い分、個性というものがつぶされがちです。
これは決して教員の方々の問題ではありません。
システム上しかたないのかなと。
先生方は可能な限り、個性を大事に関わってくださっています。
本当に感謝しかありません。。
小学校に行くことを強要することに価値はない
「学校に行けるようになる」
これはすごいことなんでしょうか?
目指すべきことなんでしょうか?
〖不登校だったけど今は学校に行ける〗
この話は、ポジティブに捉えてよい話なんでしょうか?
私は疑問です。
学校に行けるなら行けばいい
もちろん学校にもメリットが大きいですので、行ける人は行けば楽しいし、学びも多いでしょう。
その反面、不登校に人にとって学校に行くことを目指すことがメリットが大きいとは思いません。
それよりも、「不登校」という現在地を認め、尊重することが大事なような気がします。
子どもの選択を認め、応援するのが親の務め
私がもっとも大事だと思うのは〖子どもの選択を無条件に応援すること〗です。
たいがい親に感謝するときというのは、
「自分の好きなことをさせてくれてありがとう」
というセリフでしょう。
子どもの選択を応援できる親になりたいですね。
親の器量が試されている
やっぱり、子どもの好きなことを思う存分やらせてあげられるかどうか、
その器量が親にあるかどうか、
親は試されているような気がします。
不登校の子にどう接すればいいか。対策は?
親が過度に子どもに目を向けることがあまり良いことじゃないような気がしています。
子は親の鏡
これは以前の記事でも書きましたが、
子どもに対する悩みごとは結局親自身の問題であることが多い。
そして、そんな親ほど子どもに干渉する。
- まずは自分の周りの状況を整理してみる。
- 子どもにあれこれ言う前に自分の気持ちを整理してみる。
子どもを縛りすぎると良いことはない。
知らず知らずのうちに子どもを窮屈にしてしまっていないか。
そんなことを振り返ってみたいと思います。
子どもと接する時間があるほど子どもに世話を焼いてしまう
私は看護師として日々忙しく働いていたときは、もっと寛大に子どもと接することができていました。
専業主夫となり、子どもといる時間が増えました。
すると、子どものことを考えるあまり、いちいち口出しするような親になってしまったと反省しています。
あと2週間ほどで仕事を再開する予定です。
環境が変わることで、自分も変わり、子どものもっとノビノビ過ごせるようになってくれたら嬉しいと感じます。
そんな自責の念も込めたブログでした。
以上、ご覧いただきありがとうございました!また心境の変化がありましたら書かせていただきます。