小学生くらいの子どもを持つ親にありがちな「宿題しなさい!」の言葉。
つい言ってしまいたくなりますよね?
学校の宿題は最低限やってほしい。それが親の願いでもあります。
私もゲームばかりする子どもを見て、つい言いたくなることもあります。
でも、その言葉は喉元でなんとか飲み込みます。
なぜなら、言ったところで子供にも親にもメリットがないからです。
「どういうこと?」
と思ったあなたには、ぜひ本記事を読んでいただきたいと思います。
<記事を書いている私はこんな人>
元看護師です。看護師歴は15年。
3人目の子どもが生まれたことにより専業主夫に方向転換しました。
理由は3つ。
- 仕事をバリバリしたい妻と、
- 妻よりも私を必要としていた子どもたち、
- そして子どもの思いに寄り添いたい私
の利害が一致したためです。
子供の育て方には正解はありません。
しかし(だからこそ)親の悩みは尽きないものです。
他の家庭はどんな子育てをしてるのだろう?
表立って聞けないけど、気になりますよね。
今回はそんな方へ、私なりの子育ての考え方をお伝えします。
これも1つの価値観だと思って読んで下さるとありがたいです。
目次
『宿題しなさい』と言わない理由!それは子供の可能性を狭めるから
そもそも「宿題をしなければならない」というのは親の価値観です。
これをそのまま子どもに投げつけては反発するだけです。
反発したら宿題はやりません。
もしくは「やらされている」だけで伸びません。
あるいは親の命令を聞くだけのロボット的子どもが完成するだけです。
親の価値観以上の行動が出来ないなんて、もう天井が見えてしまいますよね。
つまり、「宿題をしなさい!」というのは子どもの可能性を狭めているも同然です。
ではどうしたらよいのか?
それは子どもが内面から自発的に「宿題をしよう!」と考えるまで待つのです。
つい口を出してしまう大人は「待つ」のが苦手
大人は待つのは苦手ですね。
でもこれは仕方ありません。待ってばかりじゃ生活が回らないからです。
社会に出て時間に追われる生活をしていると自然とそれがデフォルトになり、「待つ」ことが苦手になってくるのです。
しかし子どもが自発的に考え行動するためには、待てずに親が口を出してしまうのはNGです。
そうお考えのあなた、それはまだまだ待ちが足りないですよ?
言葉では言っていなくても態度で感じ取らせようなんてしていませんか?
子どもたちは親の行動をよく見ています。敏感に感じ取りますからね。
子どもには子どもたちの時間が流れています。
「宿題をしない」ということは、それ以上に別の何かに興味を持っているということになります。
それは素晴らしいことです。
宿題よりもむしろそっちを伸ばしましょう!
大事なことは、成長のためには子どもの自発的な興味を邪魔してはいけないということです。
親はこう考えると良い「宿題しなくてもいい」
そもそも宿題は何のためにするのでしょうか?
- 私たちもやってきたから?
- 学校の先生との約束?
- 将来の知識のため?
- 復習のため?
それが果たして「今」を生きている子どもにとってどれだけ役に立つのでしょうか?
今楽しいことに夢中になっているとしたら、そっちの方が重要だと思いませんか?
将来子どもが自分で勉強の必要性を感じ、自分から学びに向かった方が100倍身に付くし知識を役立てると思いませんか?
宿題しないと学校の勉強についていけない…受験が…
「宿題しないと学校の勉強や受験勉強についていけなくなる…」
と不安の親御さん。それは子どもが考え行動することです。
親はただ、子どもがいつヘルプを出してもいい雰囲気を出し、待つのです。
そしてもしもヘルプを出して来たら全面的にサポートしましょう。それは子どもの自発的な行動だからです。
おわりに:子どもの可能性は無限大である
今回の記事は私の今の考えであり、単なる一例です。
子育てに正解がないように家庭教育にも正解はないと思っています。
しかし、子どもの可能性は無限大なのは共通ですよね。
その可能性を伸ばすも潰すも親しだいということをよく考えたいものです。(自戒の念)
これを読んでくださった方が、少しでも考え方の幅が広がったと感じて下されば幸いです。